2003年7月26日
RadioHeadのNewAlbumきいてます。
昨日の劇で効果的に使われてた曲は、このアルバムからの曲だったんだとわかった。
このNewAlbumききながら、今日は少し頭のおかしい日記を書いてみます。

妄想というのか自分が色々なことを想像する時がよくあります。
想像するのは、大抵、三手四手先の未来を想像します。
それは決して都合のいい未来だけじゃなく、自分が不利になること、
はたまた自分が死に陥ることまで想像します。

例えばふと今思いついたことでは「車」。
まぁ、いつも、こういうふと思いついた事象で未来を想像するんですが。
今は車の免許を持っていない。免許は欲しいと思ってます。
でも、車には乗りたくない、車は所有したくないとは思ってます。
免許自体は、教習とか合宿とかいって学べば
まぁ、めちゃ苦労するってことはなく取得できるんだろう、と。
そして、姉、父が免許をもっていることから
俺も免許を取得したら、どっかで金を分割して車を購入するんだろう、と。
自分の車の用途はほとんどが楽器機材の運搬に使い
特に荷物がないときは電車を使うんだろうな、と。
そうやって、何度も運搬などに車を使用する。
まぁ、たまには遠出するときとかにも車を使用したりするんだろうな。
そして、いつか自分がムシャクシャしてどうにもやりきれない時がきたとき
ストレス解消なのか、衝動的なのかはわからないけれど
車を出し、高速道路へ向かい、自分の運転技術とそれを超えるギリギリの境界線のところで運転をする。
普段はスピードをだすことなど、あまりないのに。
そしてギリギリの境界線での運転に慣れてきた時、
ふとこのまま運転を投げ出したらどうなるんだろうという
唐突な生死の好奇心に犯されて
そのまま猛スピードで交通事故をおこす。
そして決して五体満足とはいえない体もしくは死。
事故を起こした瞬間もしくは、その後に自分に降り注ぐ後悔。
と、車ひとつからつくるこんな想像の未来。
この通りになるかなどは全くわからないけれど
時折、自分におりてくるこの未来の想像が自分の道標のような気がして怖くなる。

恋人であれ仲間であれ家族であれ友達であれ
全て未来の想像から創られた事象である気さえもする
未来の想像は結局、自分が想像しているものにも関わらず
必ず客観的に自分の未来への審判をくだす。
制御できない想像。

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